二本松写真ニュース
28
12
2019年
(平成31年)
No.986
http://pnews.bine.jp
(1200×1700)
 12月7日(土)霞ケ城公園「日影乃井戸」近くの平場で、二本松城跡、第29次発掘調査現地説明会が開催された。二本松市史1巻の「二本松城縄張図」によると「蔵屋敷」となっている平場。「日影乃井戸」から「少年隊の丘」への遊歩道添いの所だ。今はアジサイが植えられていて、シーズンには、花が見事。長期栽培や移植が難しい植物として知られる、サイハンラン(采配蘭、ウィキペディアから)も見られる。
 発掘現場は「湯溜跡」上の「城内路看板」から上、調査報告書によると6箇所のトレンチが設けられた。平場があることが確認出来たのは、有り難い、ここが整地され、利用されたことが分かるからだ。礎石や、瀬戸物の欠片などの遺物が出土しなかったことは残念だ。もっとも植林地や畑として利用する場合、そのようにものは取り上げられ一箇所に集められて「捨てられる」ことが多い。その捨て場が発見できれば面白かった。当日は12月としては温かく、足下もすべらず安心して遺跡の観察出来た。この場所は今回は 遺物は発見できなかったが、丹羽氏の時代にも、その前の時代にも 御城の主要な部分である事に間違いは無い。日影乃井戸という、水をふんだんに得られる場所なので、それを積極的に利用した施設の存在を考えても良いと思う。
 私の記憶では、私が小学生低学年の頃(昭和30年代後半、天文台があった頃)は、このあたりは杉の植林地だった。今思えば若い杉が林立し昼なお暗い感じだった。そのような場所は、植林のため整地され、石や異物などは取り払われる(会津坂下町の高寺山遺跡でも植林の為に荒されて居たと言う事があった)。その後伐採されてアジサイ畑になった。その以前には、おそらく畑地だったらしい。
『霞城公園は、現在住宅になっている郷土館を復活させるが、入室者(海外引揚者)は根崎町(諸橋町議宅裏)の町営住宅に転居してもらうようになる模様で、また戦時中開墾で畠となっているところは、十月までに権利放棄するので戦前同様整備し…(昭和26年2月20日、福島中央新報)』。
集合場所は「湯溜跡」上、本丸石垣下、日影乃井戸の下。
説明会看板の前で三保市長挨拶。
 最初の説明は、城内路ともされている「空堀(竪堀)」で、石段が検出された ということだった。
しっかりした石で作られている、いつの時代のものかによって、この上の平場の性格が変わる。
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第一次公開2008−03−11
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