二本松写真ニュース 23
7
2016年
(平成28年)
No.833
http://pnews.bine.jp
(1200×1700)
 9日(土)二本松市霞ケ城公園で、二本松城址第23・24次発掘調査現地説明会が開催された。
 今回の調査場所は、大震災の年に焼失した、菊人形「段返し」会場だった霞ケ城会館の跡地。江戸時代、正保城絵図では「侍屋敷」、大正10年、二本松製糸場版画には蔵(倉庫群)が並んでいた広場。
ここは箕輪門を入って「鬼ばば」の包丁が入っている石垣をまわって、正面に「塀重門」跡ヘの正面石段、九十度右に短い「周回道路」に登る石段がある。小さい頃から 何でこんな所に 短いが立派な石段あるんだろう と不思議に思っていた。最近になって城内の古絵図を見て「本坂(ほんさか・もとさか)」または「大手道」の石段だと納得した。その石段の上の所だ。道幅は江戸時代には「2間」、その上は「坂」。正保城絵図の記載だ。実は正保城絵図には城内の道は細大漏らさず長さと巾、石垣は高さと巾、平地は巾と奥行等、お城のあらゆるデータが(秘密が)記載されている。ここまで公儀に届け出ていたわけだ。戊辰戦争で西軍は江戸城の「紅葉山文庫」からこれらの城絵図を持ち出し、城攻めに利用した。だが二本松城分は丹羽氏入部当時のものだ。
 当日、開始式までは 傘が必要なほどの雨。開始式から現地説明時には雨はあがった。1トレンチでは、蔵のあった広場石垣の南東隅が鎬(しのぎ)を持っていたことが検出できた。2トレンチでは遠裡門への石段が検出された。4トレンチでは本坂御殿・姫御殿の石垣下端が検出できたが、かなりの高さだったことが判明した。
 解説の最初は6トレンチ、解説者の立っているところが、霞ケ城会館の基礎の残りだという。
 大正10年の 二本松製糸場版画、「雙松館の製絲業、
その事跡について 山田芳茂(二本松図書館蔵)」から。
 正保城絵図の 発掘調査該当場所、
国立公文書館のデジタルアーカイブから。
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第一次公開2008−03−11
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