二本松写真ニュース
29
10
2019年
(平成31年)
No.979
http://pnews.bine.jp
(1200×1700)
 さかのぼって公開、8月24日に、郭内の丹羽図書邸屋敷跡発掘調査現地説明会が行われた。

 この場所は、北小学校から道を挟んだ西側、二本松城址総合整備事業の一環の「文化観光施設」の建設場所とされ、昨年から発掘調査が行われている。昨年よりも、掘り下げられたせいか、遺物も多く見られた。上水道の井戸枠も出て来たので、江戸時代の生活面のちょっと下迄掘り下げられたと言うことか。遺物の中には、暦の「木札」もあった。年号と月の大小八十八夜など節季・雑節の日付が記載されていた。
 昨年との大きな違いは、上下水道の遺構が現れたこと。昔から「二本松の町家では 上水道の出来る前は、観音山脈から「竹(筒)樋」で飲み水引いていた」、と聞いていた。それがそのまま現れた、と言うことだ。「江戸の下町の上水道」解説図を良く見るが、そのままが出土したと言うことだ。おそらく日本の各地で同じ事が行われていたのだろう。二本松の造り酒屋はつい最近まで、どころか、現在も観音山脈の水を利用している、と言う。「千功成」「奥の松」「大七」全て観音山脈の水だ(った)と聞いている。
 郭内の武家屋敷の場合、山沿いの宅地はともかく、「新町」通りと「一の丁から三ノ丁に挟まれた宅地」等山沿いでない場所は 道の下を竹筒通していたと言うことか。維持管理どうしていたのだろう、どの程度長持ちしたのだろうかと気になる。もっとも丹羽図書邸、200年近く経過しても 結構ちゃんとした竹筒出てきたけれど。
下水については、木を削って角樋にした「木樋」だ。江戸時代以来の岳温泉の「湯樋」と同じ構造、但しこちらの方が一回り小さい。古い城下絵図には宅地の中に「川」が描かれている。ここに排水したものか。今の下水と違って「雨水」等が主だろうけど。
遺跡の東側には 上水道の遺物がまとまっていた。
出土した遺物の展示。
wtadashi@nifty.com
【 管理者へのメール 】
第一次公開2008−03−11
【 関連ブログ 】 新・二本松藩だより
2019-09-22
あだたら天文台協力会
2018-08-02
岳温泉文化協会
2015-02-17
2018-08-02