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二本松写真ニュース
No.696
http://pnews.bine.jp
(1200×1700)
 二本松では 松の内の最終日、7日の朝は「七草かゆ」、正月飾りも外して「どんと焼」になる(亀谷の賽の神では左義長の14日)。住んでいる郭内では午後2時からで、その日別の行事があったため、どんと焼きに出られない。竹田町の五社稲荷、根崎町の大神宮のどんと焼きの案内が福島中央新報に出ていたので、今年は根崎大神宮に出かけた。当然駐車場はないので歩きです。実は最近大神宮様お祭りをやらない、貴重な絵馬があるのに、拝見できない、と言うこともあって、この機会に 是非確認しておこう と言うこともあった。
 ちゃんと炉をブロックで囲んで作って、松飾りもちゃんと焼いて
(焦がして)、その辺は昔通りのどんと焼き。
 歩いてお参りするのは楽しい、すれ違う人とお正月の挨拶もして、どうこうと話をして、そんなことするのは久しぶりだった。
 根崎大神宮の歴史は古い。
 『1674年延宝寅二年 丹羽公、祈願寺として大隣寺跡地に摩尼宝山遍照尊寺開山創立、この折 雲堂法印が伊勢皇大神宮より、現在地に分離祭事を行う。東北地方に於いては大神宮として最も古いと言われて居る』、神明社略誌から。
 伊勢神宮から 江戸時代中期に 正式な「分祀」手続きをして、「国主」が「勧請」した大神宮、しかも東北で最初だという。東北で最初と言っても その時代伊勢神宮そのものが おかげ参りの対象だったりして 今のようにガチガチに格式張っていなかった。もっとゆるい 庶民的な神社で、ありがたみも薄く、だから東北諸藩でも勧請するところがなかったと言うことだろう。根崎大神宮も 雲堂和尚縁の高野山の守護神「高野明神」と 同居なのだ。 それでも 「東北最初の大神宮」の座は揺るがない。
 近くの郡山市には 「開成山大神宮」もあるが、あれは明治時代のもの、格が違う。明治維新を境に伊勢神宮の性格が変わってしまった。私は維新後の へんてこに格式張った 今の大神宮は嫌いだ、お参りしたことはあるが。
神明社略誌
http://blogs.yahoo.co.jp/wmoth155/24646728.html
絵馬
http://blogs.yahoo.co.jp/wmoth155/20699311.html
http://blogs.yahoo.co.jp/wmoth155/20675215.html
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第一次公開2008−03−11
二本松藩だより
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