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二本松写真ニュース
2014年
(平成26年)
No.590
http://pnews.bine.jp
(1200×1700)
 2月3日(月)二本松市郭内の菅原神社で恒例の節分祭と豆まきが行われた。午前10時からは節分祭が高橋廣一郎宮司により挙行され、お祓いを受けた御神酒が配られた。伊藤淳町内会長の挨拶の後、10時半から上下姿の総代さん2名により 豆まきが行われた。境内には50人ほどの人々が集まって 争って紙袋に入れられた豆やミカンを拾いあった。豆まきは11時半からも行われた。

 この 菅原神社については、昭和9年発行の「双松案内誌」に由来が記載されている。『菅原神社(二本松)天満天神宮は二本松新道蔵場山に鎮座し奉り、その由緒は今を去る事156有余年前二本松城太守、丹羽高寛公の御代元文3年7月総奉行青山並に匠作監、五十嵐の両士が公命に随って社宇を建築し爾後、24年の星霜を経て更らに明和元年9月奉行藤田八郎兵衛外一名が公命に依りて社殿を改築され文化3年10月にも更らに改築され常に丹羽藩主の尊敬せるものにして威徳は旧城主の恩沢と共に住民の崇敬さるゝ事篤く、明治16年廓内霊地より現在の霊地に移せるものにして俗に出世天神と崇称され参詣者多し』、(双松案内誌は檜物屋酒造店さん所蔵から引用)。

 また、旧城内のどこにあったかについては、「安井時僚覚書(市史4巻)」城内の記述、本町谷の項に『天神宮 神体は、秀延公御幼少之節浅草ニ而御求被成、朝暮御手遊び被遊天神を御祭り被成候、高庸公御代神主大原中務へ被仰付候』とあるので、現在洗心亭のあるあたり、ということになる。
豆まき、総代さんは 上下姿。
まずは御神酒。
町会長さんのあいさつ。
境内に集まった人々、たき火では「カッポ酒」、「焼き餅」。
袋の中身です、この他にみかんも戴いた。
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第一次公開2008−03−11
二本松藩だより
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