2
10
二本松写真ニュース
2013年
No.551
http://pnews.bine.jp
(1200×1700)
 二本松市岳温泉の岳温泉文化協会(二瓶義松会長)は、9月1日(日)、姫沼観察会の後、塩沢十文字の「十文字岳温泉」跡を訪ねた。十文字岳温泉は、文政七年嶽山崩れの翌々年、崩壊した元岳から引き湯して、再興された温泉場。当時各方面に配布された「奥州二本松嶽温泉」の「ちらし」によれば、再興の場所は「羽州米沢への道筋十文字」、「平原高陽の地で 眺望も宜しき地」、「元岳が夏許りの営業だったのに、通年営業できる」とし、「入浴にお出で下されたく、偏に御願い上げ候」と 述べている。戊辰戦争にあたり 二本松藩は 十文字岳温泉が西軍に利用されることを恐れ 焼いたとされる。岳温泉は「深堀小屋」に移り そこも火災で焼亡、現在地に移った。
 十文字岳温泉については 豊富な資料が残されているが、跡地は第二次世界大戦後開拓入植地とされ、整理されて 当時を語る「遺構」は殆ど残されていない。岳温泉文化協会は、わずかに残されている遺構を確認整理し 形にして残したいとして 調査を実施している。当日は 姫沼観察に参加した会員と十文字岳温泉跡地に先行していた会員 計8名が、現在 農地・別荘地になっている跡地の地表観察を実施した(土地所有者には事前にご了解を戴いている)。
 十文字岳温泉にあった「大黒天石像」、今は
塩沢温泉 湯川荘前に移されている。
 十文字岳温泉跡地 大門前、で絵図との照合をする会員、
右側の土手の上が温泉跡地。
 右側の石垣が、湯小屋跡だという、
同じ様な石組みは 跡地内に 他にもある。
 今は湯川荘前にある 大黒天があった場所の台石を、
観察する会員、大黒天の旧跡の旨の石碑が建てられている。
敷地内の段差には、「貼り付け石垣」が設けられている。 別荘地内の跡地、山側に 遺構らしき石組みを確認できた。
wtadashi@nifty.com
【 email 】
第一次公開2008−03−11
二本松藩だより
【関連ブログ】