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二本松写真ニュース | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2011年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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日号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(平成23年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
http://pnews.bine.jp | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(1200×1700) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
福島県二本松市の安達太良連峰、鉄山の南壁の一部が5日の午前6時48分崩落した。 鉄山は鉄山火山の溶岩台地で、その周囲は「柱状節理」で囲まれている。特に南壁は黒い岩肌があらわで「鉄山」の名もそこに由来する。崩落の場所は「文政7年嶽山崩れ」現場の直上、崩落した土砂で嶽山崩れの「ヌケアト(抜け跡)」は半分以上が埋まった。 鉄山南壁の東半分は柱状節理、西側は大規模な崖堆、「柱状節理」が西側から「崖堆」にどんどん押されている。南壁は「崖堆」に浸食されているのだ。遠い将来鉄山南壁の「柱状節理」は姿を消し、溶岩台地は崖堆で周囲を囲まれることになる。そのような「火山地形」の「進化」の一場面に 遭遇したわけだ。岳温泉の源泉地だが、影響は小規模で済んだという。 |
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崩落の左側は「崖堆」、右側は「柱状節理」、崩落部分には「柱状節理」が並んでいた。 節理はタマネギのように何重にも重なっているようで、手前の「2枚(2段)」が崩落したようだ。奥岳から望遠撮影、この角度だと重なり具合がよくわかる、色調調整してコントラストを強調している(9月10日撮影)。 |
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崩落前の同じ場所、5月15日の山開き当日撮影。 黄色円の部分が 同一箇所。 |
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崩落全景、と言っても先端は画面からはみ出した。 先端は 沢に届いたが反対側に登ることはなかった。 |
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ブログ「二本松藩だより」で、嶽山崩れについて紹介している。 岳温泉学、第一次岳温泉の現状、崩壊時のスケッチ、小屋配置図など、嶽山崩れ、岳山崩れ、文政七年。 【参考文献】二本松市史6近世V、p654、嶽山崩、 図説 二本松・安達の歴史、郷土出版社、p138、湯治場の全滅 他岳温泉刊行の書籍。 |
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第一次公開2008−03−11 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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