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二本松写真ニュース
2011年
日号
(平成23年)
http://pnews.bine.jp
(1200×1700)
 4月3日(日)旧安達町北向部落の「人肌薬師尊(御札の表記)」祭礼があった。北向の人肌薬師如来は以前から気になっていたが、場所がわからなかった。今年の二本松市体育協会新年会で、祭礼期日を知ることが出来たので出かけた(ローカルな展開だなあ)。北向部落には知人(安斎さん)も居られるので好都合だった(更にローカル)。
 人肌薬師堂は北向部落の北西の丘の上にある。安達ヶ原と阿武隈川を挟んだ向かい側。この丘の西端は「天皇舘腰」と言う地名、舘跡だ。北向と言う地名だが部落は南面している、薬師堂も南向きだしなぜ「北向」と。以下はHP管理者の思いつきなので信用しないこと。安達ヶ原から見て「安達ヶ原の勢力」から見て 向側の北にあったので「北向」かも知れない。
 お堂の中にあった今は使っていない御札の版木には「安達原/奉修人肌薬師如来祈願成就/醫王院」とあって「広報あだちまち」掲載の由来記には人肌薬師の別当は「弘誓山東光寺醫王院」と言うお寺だったことが述べられている。安達郡史(p71)の時代には「東光寺」はあったようだ、場所を確認しなければならない。
 4月8日はお釈迦様の誕生日「花祭り」、薬師堂の縁側には 堂内に祀られていた「誕生仏」が花御堂と共に飾られていた。参拝の人達は甘茶を掛けて手を合わせていた。特別製の甘茶は参拝の人達にも振る舞われた。
 現在の別当 満福寺住職による読経・ご供養。厨子の中には日光・月光菩薩が、両側の須弥檀には十二神将が祀られている。
薬師様祭礼ちらし、
安斎さん作成、今年初めてだと言うが、今後も続けて、是非盛大な祭を続けて頂きたい。
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広報あだちまち、
昭和39年11月20日号、
 人肌薬師如来と、鬼婆と異なる、「異説」安達ヶ原由来記、これは始めて読んだ、大いに興味をそそられた(こちらが真説?)。
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第一次公開2008−03−11
二本松藩だより
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