index
22
2
二本松写真ニュース
2010年
日号
(平成22年)
http://pnews.bine.jp
(1200×1700)
 2月21日(日)『まち歩きワークショップ「元気資源まちなか探検」亀谷』が開催された。城下町元気資源ブラッシュアップ事業の一環。参加者は午前10時に坂の駅露伴亭に集合、見所などの簡単な打合せの後、坂を上って遊歩道→蓮華寺光覚寺を下って裡町→六角川に沿って御免町→釜場入り光現寺→鏡石寺露伴亭、のコースを歩いた。
 当日は2月末としては暖かい日、露伴亭に戻って屋外のテーブルで昼食の「スリランカカレースープサラダ付き」を頂いて、今日歩いたコースについて感想を述べあい、地図に発見した項目を記載した。
参加者は12名、屋外での打合せも寒くない 良い陽気になった。
亀谷坂頂上、幸田露伴石碑の前で 検討会。
HP管理者の収穫

○招魂山に戦時中「対空監視哨」があった、電柱並の太い柱で出来ていて、参加者のK先生の同級生が勤務していた。3階くらいの建物で、一階は事務所になっていた。戦後そこに住んだ一家もあった。
(2013-01-20追記)一昼夜勤務して 日当は2円50銭だった、勤務したことのある鈴石の渡辺康一さんの話。
○K先生は 南岳院の後裔。
○幕末の文献に出てくる「才股合薬場」所在がはっきりしていなかった、おそらく射撃場も併設されていたろう。光現寺の石段に腰掛けて射撃練習を見ていたという話があるという。合薬場の場所の手がかりだ。
○現南小上の竹藪あたりにF鉄工の火薬庫があった。
○二本松福祉センター前庭の「奉安殿」石碑、旧第一小は伊勢神宮のような和風の造り、旧第二小は洋風だった、共に福島県一(安達郡一?)と称された。(これは卒業アルバム等に写真があるはず)。
○知り合いのお宅が「なべや」と称した錠前鍛冶で、明治の頃の警官のサーベルは殆どそこで扱った、宮城県丸森町の齋理屋敷に「きくちきくたろう」銘の錠前があったと知らせてきた人がいた。
(2013-01-21追記)鍋屋菊地家の歴史、小島喜一、2012(平24)-10-21、二本松基礎データ。
○光覚寺には K玉Y夫家の墓地がある、旧藩士だった。
等々
wtadashi@nifty.com
【email】
第一次公開2008−03−11